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2007年06月01日

コラム「どうなる?今後のゲーム業界!その1」

現在、ゲーム業界では3つの再編が進んでいる。
これから、このテーマを3回のコラムに分けて綴っていきたい。

1番目の再編はゲームをプレイする上で欠かせないハードウェアの再編だ。
5年~10年前からのユーザーであれば既に気づいておられると思うが、ファミ通や電撃プレイステーションなどの雑誌やウェブサイトの売上ランキングを見れば明らかだ。

5年前であれば、上位は常にソニー社製の「PlayStation 2」のタイトルが独占し、それに任天堂などのハードのタイトルや携帯ゲーム機のタイトルが続くというのが定番であった。

ところが、現在では携帯ゲーム機である「ニンテンドー DS」のタイトルが上位を独占、それにかろうじて「PlayStation 2」のタイトルが食い込むという状況になっている。

ハードメーカーの立場が逆転したとも取れるが、実際のところ、腰を据えて長時間プレイしなくてはならない据置き機から短時間で手軽にプレイ可能な携帯ゲーム機にユーザーニーズが移行したととらえる方が自然である。

ソフトメーカーも携帯ゲーム機向けタイトルを増やしており、もうしばらく携帯ゲーム機向けのタイトルが売上ランキングの上位を独占する日は続きそうだ。

ただ、このユーザーニーズの変化が長期的なものかと問われれば、疑問点が存在することも確かである。

ハードウェアメーカーにとって今の時期は丁度、次世代機への移行時期であり、旧世代据置き機の市場規模が最も縮小する時期でもある。
その間隙を突いていち早く次世代携帯ゲーム機である「ニンテンドーDS」と「PSP」が相次いで発売されたと言える。

現在、据置き機では「PlayStation 2」「Wii」「Xbox360」と3台の次世代機が発売されているが、これらが今後どの程度市場シェアを拡げていくかが大きなカギであろうと思われる。

(2006/12/03)tank

PLAYSTATION 3(20GB)

Wii

Xbox 360(通常版)

2007年06月05日

コラム「どうなる?今後のゲーム業界!その2」

2番目の再編はソフトメーカーの再編だ。現在、ソフトメーカー、特に中小規模のメーカーは非常に難しい立場に立たされている。
理由は1番目に挙げた「携帯ゲーム機主導の市場」と「次世代ゲーム機の発売」である。

ゲーム市場の主導権が携帯ゲーム機になったからと言って、ソフトの販売本数がどんと増えるわけではない。
実の所、土俵が変わっただけでソフトの販売本数自体はそれほど変わらないのである。
ましてや、これまで携帯ゲーム機のタイトルをほとんど発売してこなかったメーカーのタイトルは据置き機での販売本数よりも減少する傾向さえある。

携帯ゲーム機向けのソフトは開発費を安く抑えられるじゃないかと言われるが、確かにその通り、開発費は安い。しかしながら、携帯ゲーム機のソフトは、販売価格も安いのである。
よほどの人気タイトルでもない限り、据置き機同様、6800円という価格をつけることはできない。
せいぜい5800円、通常4800円という価格設定に落ち着けることになるのだ。

そうなるとメーカーが得るソフト1本あたりの利益は据置き機向けタイトルと比べ減少することになる。
その場合、ソフトメーカーは、1年当たりの発売タイトル数を増やすという戦略を取るのだが、この戦略がかなりの曲者なのである。始めに言っておくと、この戦略自体は間違っていない。
ここ1~2年のような不安定な市場環境下において、ある程度発売タイトル数を増やすことは、企業収益を確保する上で効果的であるし当然の経営判断と言える。

しかし、「ある程度」というのが非常に重要なキーワードであることも忘れてはならない。
普段から多くのタイトルを発売している大規模メーカーでもないのに目に見えて発売タイトルが増え続けた場合、大多数のユーザーが感じるのは「粗製濫発」である。実際に「粗製」でなくともユーザーにそのように感じられてしまうと、あとはジリ貧である。

大企業に吸収されるか、そのまま倒産するかという二者択一を迫られることになる。
実は、これによる中小企業の淘汰は既にある程度まで進んでおり、10年前と比べてソフトメーカーと呼ばれる企業がかなり減少していることは事実だ。

更に、そのような状況に「次世代ゲーム機の発売」が追い討ちをかける。
次世代ゲーム機向けのソフト開発は、開発費が格段に上がる上、まだこの時期はハードウェアが世の中に出回っておらず、販売本数も確保できない。

まさに中小ソフトメーカーにとっては、舵取りの難しい局面と言える。

今後、更に再編が進み、個人的にゲームソフト市場は自動車産業のようにごく少数の大規模メーカーによる寡占市場になっていくのではないかと考えている。

(2006/12/03)tank

PLAYSTATION 3(20GB)

Wii

Xbox 360(通常版)

コラム「どうなる?今後のゲーム業界!その3」

3番目の再編は、ワールドワイドでの市場シェアの再編だ。

これは既に完了してしまったと言った方が良いかもしれないが、ゲームの世界市場を見た場合、かつてのシェアは大きい順から「日本」>「アメリカ」>「ヨーロッパ」であった。
そのため、ソフトメーカーのスタンダードなビジネスモデルは、日本向けに作られたタイトルを英語に翻訳し、アメリカ、ヨーロッパに輸出するというものだった。
しかしながら、現在は既に「アメリカ」>「ヨーロッパ」>「日本」という図式になっている。

更にそのような状況からソフトメーカーのビジネスモデルも様変わりしつつある。
もともと日本向けに作られたゲームソフトの続編であっても、まずアメリカ市場で売れることが前提で作られる場合が増えてきた。

よく前作と雰囲気がガラリと変わった続編タイトルを目にし、「なんで、こんな作りにしてしまったのだろう?」と首を傾げることがあるが、その場合は、アメリカでの売上確保を前提としている可能性が高い。
今やゲームビジネスの中心は日本ではなく、アメリカに移行していることは間違いない。

とこれまで、ゲーム業界の再編を語ってきたが、日本のゲーム業界が先行き暗いと言っているワケではない。
確かに日本のゲーム業界の市場規模は年々減少し、販売本数100万本を越える大ヒット作は減少しているが、それは、次世代機への移行という時期的な問題とユーザーニーズの変化という事象が大きく影響しているためだ。

次世代ゲーム機の動向いかんによっては、更に大きく市場が変化する可能性が高い。
また、日本のゲームメーカーのブランド力は世界的に見てもまだまだトップクラスである。
業界内での再編は進むであろうが、今後もゲーム業界がある程度の市場規模を持ったビジネスであり続けることは疑いようもない。

10年後、ゲーム業界がどのようになっているか非常に楽しみだ。

(2006/12/14)tank

PLAYSTATION 3(20GB)

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Xbox 360(通常版)

コラム「ブログの終わる日」

私は何か漠然と調べ物をするときに検索エンジンでブログ(らしきサイト)がヒットした場合、基本的に無視することにしている。
情報がすぐに取り出せないない上、さんざん長い文章を読んだあげく分かったことは1つか2つというお粗末な結果になるからだ。

本来、ブログというウェブツールは、日記や評論など文字通り「ウェブログ」を作成し公開するのに適したツールであって、沢山の情報や詳細なデータなどを公開するのには全く向いていない。

よくアフィリエイト広告のみで構成されたまるで何かのカタログのようなブログを目にするが、正直、使いにくいことこの上ない。

カタログが見たいなら、メーカーのホームページか通販サイトを見れば紹介されている商品の数も豊富でデータも詳しい。
わざわざ見つけにくいブログのリンクを辿って目的のものを探すよりも効率的だ。

ただ、特定の商品の内容を細かく知りたい場合、ブログは非常に重宝する。
映画のDVDなどは、そのあらすじなどが書かれている場合が多いからだ。
文章を読むのに適している「ブログ」は、あらすじや感想、論評を書くのに優れている。

ただ、ここ最近、アフィリエイト広告をただ闇雲に貼り付け、ほとんど文章の無い「ブログ」であって「ブログ」でないものがかなり増えつつあり、
そのうち閲覧する人間が「ブログ」に拒否感を感じるようにならないか懸念している。

結局のところブログであろうとなかろうと閲覧者がいなければ公開する意味は無いのだから。

(2007/02/22)tank

コラム「給食費を払わない親」

給食費を払わない親というのがいるらしい。
なんと情け無いことか・・・。

しかも聞く所によると、その家庭では特に収入が少ないわけでもないそうだ。
プラズマテレビを買ったからとか車を購入したからとかそういった理由で払えないと言われるらしい。

「いい大人が何を言っているのか?」と首を傾げたくなる。
自分の家計もろくに計画的に運用できない人間が家庭を作るんじゃないと言いたい。結婚などするな、子供など作るなと。

更に驚くことには、「まずい給食に金を払う必要は無い。」「金を取るならおいしいものを食べさせろ。」などと言い放つ親もいるらしい。

「バカか?」と言いたい。
それなら毎朝早起きして作った弁当を持たせればよいではないか。

このように言うと、「学校は給食で統一しているから」とか「一人だけ弁当だといじめられる」などと責任転嫁をし始める。
給食費を払っていないということが生徒の間で広まれば、それこそいじめの原因になることには目をつぶって、である。

子育ての基本は食事なのだ。
それをないがしろにして自分たちの欲しいものを買うという幼稚な親のなんと多いことかと嘆かわしくなる。

このような親たちは自分たちが学校に給食をめぐんでもらっているということを理解しているのだろうか?
学校が生徒に給食を食べさせなくてはならないという義務は無いのだ。

最近、こういった自分の考えを押し付け、周りのルールは受け入れないという自分勝手な親が増えてきた。

しかし、これは一概にこの親たちだけの責任とは言い切れない。
なぜならそのような教育を受けて育ってしまった人たちだからだ。

戦後教育からしばらくして、アイデンティティ(個人主義)を重視する教育方針がアメリカから導入された。

これは本来、個人個人の秀でた能力を潰さないように育てようという内容のものだったのだが、実際の教育現場(家庭や学校)では、皆で同じことをするのは全て悪であり、ルールに従うのも悪、一人一人がやりたいことをするのが善という内容のものにすりかえられてしまった。ワガママ人間製造工場と化してしまったのである。

今現在、その教育を受けた人々が大人になり結婚や就職などで社会に出てきたことで、次から次へとこのような問題が発生しているのだ。彼らは教育の迷走に巻き込まれた可哀そうな被害者と言えなくも無い。

しかしながら、このような恥知らずな親に育てられた子供たちが将来、どのような人間に成長するのか?

考えるだけで恐ろしい。

(2007/05/15)tank

2007年06月18日

コラム「恥を忘れた親たち」

実は先日、私は子供の遠足に同行した。

保育園が主催する親子遠足だったのだが、私は2歳になる自分の子供とともに参加したのだ。全体では約40家族が参加していた。

私たち家族は父親である私のみが同行したのだが、母親が同行している家族や私と同じく父親が同行している家族、休日ということもあってか両親ともに参加している家族など実に様々だ。

保育園から出発したバスに揺られること30分。緑いっぱいのナントカ公園に到着した。
そこは様々な植物が植えてありつつもアスレチックの遊具が点々と設置してある広大な公園だった。

さて、バスを降りたところで皆が集まり保育士の方から各説明と今日のスケジュールを聞いたのだが、まず驚いた。

5~6人の5歳くらいの子供たちが説明している保育士の方々のまさに傍らににある石垣に登って遊んでいるのである。子供の頃から「先生の話はじっとして聞け。」と教育されてきた私は少々とまどった。

しかも、そのことを保育士の方々もその子たちの親も特に気にもしていないようだ。ふと周りを見ると大勢の父兄の方々の中に、じっとしていられずもがく子供たちを必死で押さえつけている何組かのご両親のほほえましい姿が目に入った。

なるほど、確かに私が子供の頃にもああいったある種「自由奔放」な家庭もあったような気がする。こういった場では保育士の方たちも親をさしおいて子供に注意するのは気が引けるだろう。

私はある意味納得して、暴れる我が子を押さえつけつつ保育士の方の説明に再び耳を傾けた。

説明後、広場に移動し、実に様々なことを行った。写真撮影に体操、ダンスや遊戯など、私も久々に体を動かしつつ子供とともに楽しい時間を過ごした。

さて、数時間後、保育士の方が地面に大きなブルーシートを敷き始めた。「なんだろ?」と思いつつ眺めていたところ、園長先生が説明を始めた。

「さて、そろそろ昼食のお時間です。皆様にはこちらのブルーシートの上でお弁当を召し上がっていただいて・・・。」と説明を続けようとした時である。

ドドドドドド!

40家族が一気に動き始めた。そう、「場所取り」である。

私は唖然とした。園長先生の話も聞かず、ただひたすらブルーシートの日陰のスペースを狙って皆必死の場所取り。

私もつい釣られて動きそうになったのを「ちょっと待て」の心の叫びで思いとどまった。
ふと周りを見ると私を含めた3~4家族のみがじっと動かず園長先生の説明を聞いている。良かった私は間違っていなかった。しかしともすれば、説明を聞いている人たちの方が非常識であるかのように錯覚してしまう状況だ。

園長先生はそのような状況の中、何事も無いかのように説明を続けている。しかしほとんど誰も聞いていない。皆、場所取りに必死。

私は「こりゃダメだ」と思った。親たちがこんな状態で、子供の躾などできるはずがない。「子供は親の背中を見て育つ」と言うが、親が先生の言うことをじっと聞くことができないのに、どうしてその子供にそれができよう。

学校で「先生の言うことは黙って聞け」などと諭しても聞くわけがない。授業中席に座っていられない子供たちが急増しているらしいが当たり前である。

そもそも説明をしてくれている園長先生に失礼ではないか。もう「相手に失礼だ」と感じるモラルも崩壊してしまったのだろうか。

私はこのようないわゆる「恥知らずな親」は全体の一部で増えているのだと思っていたのだが、どうやらそれは大きな間違いだったようだ。なにせ40家族中の90%以上が「場所取り」に殺到しているのだ。

そして、私は先ほど場所取りに動く親たちを目にして、一瞬釣られかけた。それは、話をじっとして聞くという行動をとっていた家族が極少数だったからだ。
だから説明をしている園長先生を放っておいて場所取りをするのが当たり前の行動のように錯覚したのである。恐らくこのようなことは今後も多々あるに違いないと思う。そしてその度に自分のモラルの声を聞かなくてはならない。

このような急速にモラルが失われていく社会で、自分の子供に礼儀や分別を教えながら子育てをするのならば、親は強烈なモラルを持っていなくてはならない。少々のモラルでは流されてしまう。大変な世の中になってしまったものだ。

「子供はやっぱり私立かな」と久々に親らしい考えが頭をよぎった。

(2007/06/18)tank

2007年07月19日

コラム「『ひぐらしのなく頃に』と『あの作品』の共通点!?その1」

さて、「ひぐらしのなく頃に」である。

元々同人ソフトとして竜騎士07氏とその弟である八咫桜氏が製作し2002年夏のコミックマーケット62にて最初の作品「鬼隠し編」を発表したものだ。

同人ソフトと言ってもいわゆる18禁ものではなく、それどころかゲーム中選択肢もなく、キャラクターや背景などのビジュアルと共にシナリオを読み進めていくというゲームと言うよりはビジュアルノベルの類に含まれる内容であろう。

選択肢が全くないため、マルチシナリオなどとは異なり主人公の行動や言動によって物語が変化することはない。

発表当初はそれほど認知度のあるものではなく、その後の「綿流し編」「祟殺し編」と共に数ある同人ソフトの一つに過ぎなかったが、2004年に公式サイトで体験版として「鬼隠し編」が無料で配布された頃よりインターネット掲示板のクチコミで火が付き、ウワサが瞬く間に広がった。

ゲームの内容を少しご説明すると、田舎の村に引っ越してきた主人公の少年がそこの学校のクラスメイトの女の子たちと楽しくも慌しい日常を過ごしているうちに、毎年村祭りの日に人が殺されたり神隠しにあったりするという村の異常性に気づき、誰を信用して良いのか分からない孤立した状態の中で真相を調べようとするサスペンスホラーである。

このように書くとサウンドノベルによくあるジャンルなのだが、「ひぐらしのなく頃に」にはある特徴が存在する。

ゲーム内で謎が「解けない」のである。

従来のサスペンスものであれば、「犯人当て」や「謎解き」などのオチが用意されているものであるが、「ひぐらしのなく頃に」にはそれが存在しない。
主人公が最後どうなったのかというオチは用意されているのだが、「なぜ人が殺されるのか?」「なぜ人が神隠しに遭うのか?」「犯人は誰なのか?」などの謎は投げっぱなしなのだ。
だからこそ、インターネット掲示板やブログなどで所謂「考察」が盛り上がり、ブームを引き起こしたとも言える。

「ひぐらしのなく頃に」は「鬼隠し編」「綿流し編」「祟殺し編」「暇潰し編」の4本、更にその後に「ひぐらしのなく頃に解」として「目明し編」「罪滅し編」「皆殺し編」「祭囃し編」の4本、計8本がオムニバス形式の本編タイトルとしてリリースされている。リリースされている順番もこの順番である。
前半の4本が出題編として謎を投げっぱなし、後半の4本が出題編4本のそれぞれのストーリーの謎を解く内容となっている。

すなわち、ユーザーが謎の解答を知る前に次々と新しい謎を投げかけ、後半一気に解答をしていくという流れである。
このリリースの順番が、「出題」→「解答」を4回繰り返す順番であったらどうであろうか?

恐らく、1本目、2本目あたりでユーザーは満足し、3本目まで購入しようという意欲はかなり損なわれていただろう。

しかしながら「ひぐらしのなく頃に」は、2年間に渡って出題編を出し続け、更にその後の2年間、解答編を出すことによって、計4年間にも渡り話題を持続させることに成功している。

ここでふと、これと同じような展開を行った過去の作品を思い出す。
その作品も「ひぐらしのなく頃に」同様、多くの謎を投げかけ、「ひぐらしのなく頃に」とは比べ物にならない程の一大ムーブメントを作り上げたのだが・・・。

(2007/07/19)tank

ひぐらしのなく頃に祭(通常版)

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2007年07月27日

コラム「『ひぐらしのなく頃に』と『あの作品』の共通点!?その2」

「ひぐらしのなく頃に」と同じような展開を行った過去の作品、それはおよそ10年前、一大ブームを築き上げた「新世紀エヴァンゲリオン」である。

当時、ガイナックス社とテレビ東京が製作した「新世紀エヴァンゲリオン」は地球を侵略してくる巨大生物「使徒」と巨大ロボット「エヴァンゲリオン」との戦いを描いた作品であるが、こちらの作品でもTV放映された各話で視聴者に次々と謎を投げかけ、全話放映後も多くの謎が明らかにされないまま残った。しかもストーリー的にも未完である。
その後、一応の謎の解答として映画2本を公開し、ブームも終了となった。

「エヴァンゲリオン」ブームの経緯と「ひぐらしのなく頃に」の展開は非常によく似ている。「エヴァンゲリオン」も放送開始からしばらくはそれほど話題の作品というわけではなかった。しかしながら、各話の中で次々と提示される数々の謎に関して、インターネットを中心に考察が盛り上がり、放送終了後もその盛り上がりは衰えなかった。
そして、深夜に再放送が行われると、コアなアニメファンだけでなく、それまであまりアニメを見なかった視聴者も巻き込み、一大ムーブメントへと拡大していった。

もっとも、本当にコアなアニメファンの間では、最初の放送開始以前から「どうやらすごいアニメが始まるらしい」と囁かれていたようであるが・・・。

このように、「ひぐらしのなく頃に」と「新世紀エエヴァンゲリオン」のブーム形成はよく似ている。
私はここにある種、意図的な仕掛けを感じずにはいられない。

「最初は話題にはならなかったが、口コミで広がり、ムーブメントに至る」というのは、ある意味コンテンツ業界にとって確立されたビジネス手法なのかもしれない。確かにこの手法は時間はかかるが、広告宣伝費はぐっと抑えられるというメリットがあり、時間的リスクを差し引けばローリスク・ハイリターンな手法と言えなくもない。

ただ、この手法は短くとも数年のスパンで行うべき手法であるため、より短期間で資金を回収しなくてはならない中小企業ではなかなか実践することができないのも事実である。数年かけてじっくりとブランドを構築することが可能な大企業か、それこそ採算度外視のマンパワーで作品を作ることが可能な個人のみに許された手法である。

中小企業でもそれなりの覚悟を決めて行えば実践可能かもしれないが、ムーブメントが起きなければ制作費も広告宣伝費もパーである。一つのコンテンツの仕込みに長期間費やしその結果は数年後のお楽しみ、というプロジェクトに踏み切れる中小企業の社長さんはなかなかおりますまい。

ガイナックス社も当時中小企業であったが、社長以下ほとんどの社員が「好きなものを作れるなら残業なんのその」という、マンパワーあふれる個人が集まった会社であったため可能だったようだ。ほとんど全ての中小企業が上場を目指す現在のようなビジネス社会では、当時のように「中小企業からあっと驚くような作品が生み出される」という現象はなかなか起こり得ないかもしれない。

とにもかくにも、「最初は話題にはならなかったが、口コミで広がり、ムーブメントに至る」ビジネス手法はかなり確立されたもののようであるので、今後も第2、第3の「新世紀エヴァンゲリオン」や「ひぐらしのなく頃に」が登場してくることは間違いないはずだ。

(2007/07/27)tank

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2007年08月06日

コラム「だからハリウッドは日本に媚を売る」

ここ数年、映画界で起こっている現象をご存知だろうか?

芸能関係のニュースがお好きな方ならなんとなく感じておられるかもしれないが、ハリウッド映画の日本進出である。

そうは言っても1~2年前に流行り、すぐに鳴りを潜めた「韓流」のようなものとは違う。ハリウッド映画の日本市場重視の姿勢のことだ。

ハリウッド映画に代表される北米で製作された映画は、もう数十年も前から日本では上映されてきたし、今更進出も何もないもんだと思われる方も多いと思うが、ここ数年のハリウッドの日本に対する姿勢はあからさまに親日に傾いている。

映画の公開前にその出演者達が頻繁に来日する。

全世界に先駆けて日本で先行上映される映画が増加。

映画の一部主要キャストに日本人が起用されるケースが増加。

作品のテーマが日本であったり、一部モチーフに日本文化を取り入れる。

更に言えば、

日本の映画作品やクリエイター、俳優が海外の映画際で賞を獲得したり、候補としてノミネートされたり・・・。

とにかく、ここ最近の海外映画界の日本びいきを数えあげていけばそのネタは尽きない。

なぜこのような現象が顕著になってきているのか?

それは、世界の映画界にとってその市場規模を「ついで」と割り切れないほど日本の市場が大きくなっているためである。

日本のマーケットを押さえることができるとできないとでは、その興行収入に1.5倍~2倍近くの差ができる。

例えば、トム・クルーズが主演した「ラスト・サムライ」。全米での収入は1億ドル(約120億円)だが、それに対する日本での収入はなんと100億円。ほぼ同額なのだ。

なるほどこれでは、アジアの一地域と割り切るには非常に勿体無い市場だ。

だからこそハリウッドは日本に媚を売る。日本の顧客に対してアメリカ人に対するのと同等のサービスを行う価値があるのだから。

実は、こういった日本マーケット重視の姿勢は、1997年に製作されたレオナルド・ディカプリオ主演「タイタニック」公開直後から始まったようだ。

「タイタニック」の全米での興行収入がおよそ6億ドル(約720億円)に対し、日本での配給収入は160億円を叩きだしたのである。
アメリカの映画マーケットは既に成熟しており、それ以上の大幅な収入の増加は見込めない状況であるのに対し、定期的に映画館に通うという習慣のない日本は、まだまだこれからという新興マーケットだ。

「狙うなら日本マーケット」と、この「タイタニック」の状況を見た映画関係者達は狙いを定めた。

かくして現在、日本の映画ファンは未曾有のサービスを受けている。映画の公開時期ともなれば海外のトップスターを間近に見ることができるし、様々なテレビ番組でも特別ゲストとして登場してくる。
へたをすると全世界で最初に新作映画を堪能することも可能だ。

願わくば、このまま日本の映画熱が冷めることなく、海外にとって美味しい市場であり続けて欲しいものである。

(2007/08/6)tank

2007年08月21日

コラム「相撲が朝青龍を殺す」

現在、謹慎処分中である横綱、朝青龍の問題は未だに沈静化する様子を見せない。

ケガを理由に一時帰国した朝青龍が地元のイベントで元気にサッカーをしていたことが発端となり、その後、相撲協会からの謹慎処分、高砂親方への監督責任の追求、そして朝青龍のストレス障害もしくは解離性障害、モンゴルでの日本バッシングと連鎖的に騒動が巻き起こっている。

多くの問題が立て続けに起こったため、相撲協会も高砂親方も果てはマスコミまでもが事をどのように収拾すれば良いのか皆目分からず、右往左往しているのが現状だ。

ここで少し、相撲協会と高砂親方、及びマスコミが取り上げている論点を整理してみると、

・朝青龍は本当に仮病だったのか?
・高砂親方の監督能力に問題があるのではないか?
・朝青龍のストレス障害(解離性障害)をどのように治療するべきか?
・朝青龍の今後の進退はどうなるのか?
・地元モンゴルでの日本(相撲)バッシングをどうするのか?

この5点だと思われる。

ここで考えて欲しい。今、最優先に解決すべきは何なのか?人間としてまともな心をお持ちであればすぐに分かることだ。

答えは、「朝青龍のストレス障害(解離性障害)をどのように治療するべきか?」である。

放っておけば死に至ることもあるストレス障害を何を置いても治療することが最も重要であり、その他の問題など大したことではない。

そもそも相撲協会も親方もマスコミも「ストレス障害(解離性障害)」という病気を甘く考えすぎだ。この病気は何の治療もしなければ鬱病などの重度の精神病に発展する恐れのある危険な精神障害である。

ストレス障害=重度のストレス

ではないと断言しておきたい。

それを恐ろしいことにマスコミに登場してくる元力士と称する無知なコメンテーター、相撲協会などは「稽古で汗を流せば治るんですよ!」などと時代錯誤も良いところな発言をしたりしている。

ストレス障害や解離性障害にかかってしまった患者は自分を取り巻く環境全てにストレスを感じてしまう状態だ。思考は常にネガティブであり、一切の外的刺激を遮断したいと思う反面、このように考えてしまう自分自身に対しても不安と焦燥を感じ、八方塞がりの状況に陥る。このような状態で稽古などさせれば症状が悪化することは間違いない。

「汗をかいて気分爽快!」などと感じられる状態ではないのだ。

一番の治療法は患者の全面的な理解者であり、擁護者である保護者含め家族の下で長期の投薬治療を行うか、入院をすることだ。

ストレス障害や解離性障害は早期に投薬治療を行えば1年~3年ほどで必ず治る病気である。が、治療が遅れれば重度の精神病に陥る。

しかしながら、これまで数人の医師が朝青龍を診断し、「急性ストレス障害」もしくは「解離性障害」と診断したにも関わらず、高砂親方はそれを認めようとしない。

次から次へと医師を変え、自分の納得できる診断を下させようとしている。

稼ぎ頭の朝青龍を失っては部屋の経営が苦しくなるという事情や朝青龍という子供を預けた両親への対応など、事を穏便に済ませたい気持ちも分からないではないが、このまま朝青龍の治療を長引かせれば取り返しのつかないことになる。朝青龍の身が心配だ。

今回の問題は、弟子の身よりも自分の事情を優先してしまう高砂親方が一番の原因であるように思う。

親方は力士の親代わりであるのなら、朝青龍の身を一番に考えてあげてほしい。

(2007/08/21)tank


2007年08月31日

コラム「相撲が朝青龍を殺す その2」

朝青龍が病気療養のため、ようやくモンゴルに帰国した。

しかしながら、療養中の行動の自由は相撲協会から許されておらず、繁華街への立ち入り禁止や24時間の監視体制など厳しく制限が設けられているようだ。また、万が一帰国中にそういった制限を破るなどの問題を起こした場合、朝青龍には高砂親方ともども廃業という厳罰が下されるとのことだ。

この厳しい処置は、なかなか思い通りにならない横綱へのある種感情的な制裁に近いものがあるように思う。

これで朝青龍がモンゴルで遊び歩いていたりする記事がスクープされ、さもありなんと相撲協会が朝青龍と高砂親方を廃業に追い込む・・・そんなシナリオが既に出来上がっているような気がする。

彼らを廃業に追い込むことで怒り狂った相撲協会が溜飲を下げるかどうかは知ったことではないが、こういった相撲協会の感情に任せた一連の処置は角界に留まらず、国際的な問題に発展しかねない非常に危険な処置であると忠告しておきたい。

最悪、日本が国際非難を浴び、政府が収拾に乗り出すという大事になりかねない。

相撲協会の朝青龍への一連の処置は、客観的に見た場合、人権侵害に抵触する恐れが十分にあるのだ。

以前、テレビのワイドショーのコメンテーターが、「相撲協会を会社とするなら、その会社員である朝青龍は病気の治療に関して相撲協会の指示に従わなければならない。」と話していた。このコメント自体もかなり問題なのだが、あえてこのコメントを元に考えた場合、相撲協会という会社が朝青龍という社員に対して行った処置は、法に訴えられてもおかしくない程の人権侵害である。

1.朝青龍が療養先のモンゴルでサッカーをしたというだけで仮病と決め付け、詳細な調査も決定的な証拠もなく出場停止などの一方的な処分を下したこと。

これを会社で例えると、風邪で会社を休んだ日に取引先から電話で急な用事を頼まれた為、手伝ったというだけで会社から一方的に仮病と決め付けられ、「しばらく会社に来なくて良いよ。その分給料出ないよ。」と告げられるということである。

朝青龍がプレイしたというサッカーもモンゴル大統領に頼まれて出場したものであり、プレイした時間もフルタイムではない。大統領に頼まれたという時点で国家絡みのイベントであるので朝青龍にとっていわば公務である。遊んでいたわけではないのだ。
サッカーをしていた朝青龍自身も「元気そうだった」というだけで、「仮病だった」のではない。大統領が関わるイベントであったため、あえて苦しそうな表情を出さなかったのかもしれない。簡単に弱みを見せることができない横綱という日本を代表する立場であるならなおさらだ。

朝青龍に処分を下したことが問題なのではない。しかし、処分を下した理由が「仮病っぽいとマスコミに騒がれている」というあまりに希薄な根拠を前提としていることが大問題だ。

2.精神的な障害が疑われる朝青龍に対して、まず家族に説明し相談することもなく、勝手に高砂親方や相撲協会が診断する医師などを次々と変え、治療を遅らせたこと。

これを会社で例えるなら、病気が疑われる社員に対して本人やその家族に相談することなく、その意志や考えを無視して、会社が診断する医師や治療方針を決め、社員に対して押し付けるということである。

こんな会社がもし実在するとしたら、行政指導どころの騒ぎではない。さらに朝青龍のケースでは病人の行動の自由まで奪ってしまっている。

3.朝青龍が病気療養のためモンゴルに滞在している間、24時間の監視体制を敷くとともに、繁華街などへの娯楽施設に出入りすることを禁じ、違反した場合は親方ともども廃業させるとしていること。

これを会社で例えるなら、実家で病気療養中の社員に対して会社が24時間の監視を行い、もしその社員が友人とビールを飲みに行ったり、スポーツ観戦をしたりした場合、即刻解雇するということである。

気分転換も許されない病気療養とは一体何だろうか?いかなる理由があろうと社員を24時間監視し続けるようなことも許されるはずがない。もしこんな会社があったとしたら、という前提自体がバカバカしくなる。断言しても良いが、こんなパワハラを平然と行うような会社は今の日本にはない。人権無視も良いところだ。

これらの制裁を受けているのが一個人と考えた場合、いつ訴えられてもおかしくない状況であることを相撲協会や高砂親方は理解しているのだろうか?

モンゴルではこれらの人権侵害について既に国民が騒ぎ始めている。が、モンゴル大統領は日本と友好関係を保ち続けたいという政治的思惑があるため、今の所、特に日本を糾弾してくるような態度は見せていない。しかしながら、モンゴル大統領が国民の声に耐え切れなくなり、日本を糾弾してくるのはそれほど遠くないと思われる。そうならなくとも、海外のメディアが事の詳細を把握した段階で、国際世論によるかなりの非難を覚悟しなければならない。

その場合、非難の的は相撲協会という一団体ではなく、日本という国に集中することは間違いない。しかも朝青龍はモンゴル人、国際問題だ。

朝青龍という個人に対する制裁の是正について日本政府もそろそろ重い腰を上げるべきだと思うのだが・・・。

(2007/08/31)tank


2007年09月12日

コラム「安倍総理、突然の辞意表明!そして・・・」

9月12日、安倍総理大臣が突然辞意を表明した。国会本会議が始まる直前のことだ。
国内外においても、その急な決断に驚きを隠せないようだ。

確かに、各閣僚の不祥事や年金問題などで逆風が吹いており、いつ退任してもおかしくない状況ではあったのだが、参院選での自民党の大敗でも続投の意志を固め、閣僚を刷新し、昨今、テロ対策特別措置法延長を推し進めることを公言したばかりのことだ。

あまりにタイミングが悪い。これでは政権を途中で投げ出したと言われても仕方がない。国民の支持を得ていないにもかかわらず首相の座に居座り続け、突然放り出す。とんだ無責任首相だ。

これでは、次期総裁の検討や根回し、決議などを行う十分な時間が無く、政局が右往左往することは目に見えてる。「早急に次期総裁を決定してほしい。」と与党幹部に伝えたとのことであるが、これもまた無責任な発言である。

国会の最中に突然辞任をする内閣総理大臣など前代未聞だ。

この突然の辞意表明には、安倍総理自身の脱税疑惑も関わっているという話も出ている。もはや辞める理由はどうでも良いが、最高ポストについている者として辞任する段取りは踏むべきだった。

「美しい国」を目指していたわりには自身が「美しくない辞め方」をしてしまった、と言えば失笑を買ってしまうだろうか?

さて問題は次期総裁だろう。
現在、有力候補は2人。麻生太郎氏と福田康夫氏だ。

バランス感覚があり、経済にも明るい(自称)麻生氏か、元サラリーマンで「政治家」らしくないと言われる福田氏、どちらも国民からの人気が高い人物だ。

もしここで下手な選択をして、自民党が崩壊するようなことがあれば、日本という国自体が大きく傾くことになる。極論のように聞こえるかもしれないが、残念ながら民主党にはまだ日本の舵取りを与党として行う力量も器も備わっていない。中小企業の社長がいきなり大企業の社長になるのと同じことだ。

あえて断言してしまうと、ここは間違いなく麻生氏が次期総裁かと思われる。

安倍政権崩壊の最大の原因が「国民からの支持を得られなかったこと」であることを考えると、次期総裁に求める要素は何をおいても「人気」に他ならない。暴論のようだが、政治的手腕はニの次だ。

そういった意味で福田氏でも良いのだが、恐らく福田氏では政権交代後も続くと思われる野党からの「重箱の隅をつつくような」ネガティブキャンペーンをかわすことは難しいだろう。

この難局に際しては、実は公の席での失言も多いのだが、本人の人間的魅力なのか処世術なのか特に大問題にならずに依然として人気を集めている麻生氏にしか乗り切れまい。

麻生氏なら野党からのネガティブキャンペーンをのらりくらりとかわせそうだ。

麻生氏で地盤を固めた後、福田氏を投入するというのが自民党建て直しのシナリオだと思うのだが、いかがなものだろうか?

もっとも、再び小泉純一郎氏を担ぎ出して、第四次小泉内閣というのも裏技としてありそうだが。

(2007/09/12)tank


          

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